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みっくすぼっくす

みょんな事を書いているわけわかめな所です

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完全にしくじった。

もはや逃れようもないです。はい。完全敗北です。
とりあえず完成できませんでした。

あまりに酷い有様だったので逃れようもないと思い、棄権の理由を話します。
とはいえ、少し以上は察しはつくでしょう。どれだけ棄権という形が違っても、
頑張っている人間にしては諦めるのが早すぎると。

そうです、逃れようがないのです。頑張りきれませんでした。
どうもこの時期(summer vacation)は加速の以前に初速から出ないのですが、
それにすっぽり当てはまり、ものの見事に歩くこともままなりませんでした。
やはりこれは今までからの習慣が裏目に出たのでしょう…
なんという失態。まさに生け恥です。


全く何も出来なかったにわかの申し分なのですが、動画と言うジャンルは絵描きの中でも、
強い根気実力を把握した上での妥協ラインが非常に重要になってくると考えております。
強い根気…それはどんなことにも必要でしょう。しかし、動画はそれが最も重要になってくるものです。

また、創作側としては非常に哀しい事なのですが、
創作で一番邪魔なのは、創作する人間である、という言葉を聞いた事があります。
極論なのですが(重要)、例えば、「これをこうしてこういう風にこういう作品を作れ」というプログラミングを適応し、それを実行できる機械があるとします。
機械には感情がありません。ですからそれら単体で創作をするのは、不可能と言えるでしょう。

何故感情を途中から吹き込まないのか、よく考えてみると分かるでしょう。
人間は通常、常に感情に基づいて行動するように出来ています。
これらがあるから、創作と言うことに興味を持ち、それに感動し、作品を作り上げる事が出来ます。
しかし、人間と機械の決定的な違いは、感情の有無により、作業の効率が一定でない事です。
人間にはスランプがあり、調子の出ない時があり、その気にならない時があり、そういう状況がない時があり…しかし、機械にはこれらのものは一切ないのです。
常に一定。それを遂行する為に作られたものですから、それだけに時間を費やす事が出来ます。
創作を作業と考えれば、これが一番効率的で簡単なのです。

…ただ、恐らくこれを見たまともな創作者の方々は、少しでも怒りを覚える事でしょう。
たとえ大変でも、調子が出なくても、苦しい事があっても、それが楽しいんだから。
感情を持っている創作者なら、絶対にそんな機械に作らせる創作は有り得ないでしょう。
創作をする事自体が楽しいのですから。
その方々は本当に頑張っています。少なくともそう思えます。
彼、彼女等は感情の欠点を克服し、楽しんで創作をしていることでしょう。

そうです。
動画よりもジャンルとして頂点に立つ創作として、創る事を楽しむという事は、これ以上になく必要で、幸福なものだ。少なくとも雅は、そう考えます。

客観的に見て非常に長いsummer vacation。これだけ条件がそろっているというのに、
創作を楽しむことをせずに終わってしまった。
ごく少数の方々かもしれませんが、そんな雅の作品を期待していて下さった皆さん、
運営様、他の参加者方々、本当に申し訳ないです。


ん、雅の作品はここで終わり?
いや、そんな事はないです。
少なくとも今年中にリベンジする予定です。このままみすみす何もせずにいるのはちょっと無理なので…
この考察と失態を糧にして、今度こそ、この作品を完成させます。
とりあえず次の参加の時期は決めているので、それまでに完成させるように努めます。

図々しく、また裏切られるかもしれない、と思うかもしれませんが、
少なくともこの作品は完成させるつもりなので、どうか応援をお願いします。
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さて、再利用すると決めた事だし更新しよう。
実を言うと二週間程前からこの計画をしていたのだ。I was very busying!I'm very busying too!(自称)

早速キャラを無視したぶっ飛んだ話題が出てきたわけですが。そこは華麗にスルーしてください。
これでも期末は4教科80点台、1教科満点だったんだぜ…!!(自慢)まぁ音楽は平均点以下だったがな


数年前からやたら五月蠅い「ら抜き言葉」。雅は「最近の若者は…」ってのは結構嫌いなんで、このあたりに付いてちょっと考察してみる事にしました。周りにそんなこと言う人いないけど。
ぶっちゃけ今年になって初めて知ったんで、一応説明しておきます。あたい馬鹿じゃないもん!

それは名前の通り、動詞から「ら」が抜けている動詞です。その原型から説明すると、例えば…
「食べる事が出来る」を省略した言葉、「食べられる」が挙げられます。(ここでは可能の意味の動詞と解釈して表記します)
他にも「見られる」だとか「来られる」、「育てられる」だとかが挙げられます。例外については後ほど…
そして、先に挙げた通り、これらの単語から「ら」が抜けている単語の事を「ら抜き言葉」といいます。
「食べれる」、「見れる」、「来れる」、「育てれる」ですね。他にもまだまだありますよ。

何故このような言葉が使われるようになったのか…原因として考察してみました。箇条書きです。

・尊敬語と混同し易いので、単語が分離された
・結構発音し難い(子供のインドア化が進んで話す機会が減り、発音が悪くなった?データないけど)
・日本語には省略の癖がある

…ざっとこんな感じでしょうか。見ての通り、我々にとって使いやすい方に修正されています。

しかし、こっちの英語の先生によると…英語は発音しやすい方向に形を変えていくそうです。
これを事実とすると…戦後、米国の思想が日本へと渡り、ら抜き言葉が出来たのではないか、とも考えられるような。

実質これは良い傾向なのではないでしょうか、と雅の勝手な意見。
未だにら抜き言葉については教科書でも「文法上では認められていない」と書かれています。
勝手ながら、これは「日本の古き良きry」という物ではないのか…そういう結論に至りました。
確かに、昔に書かれた書籍を残していく為にはこういう変化もあった、とは表記していいでしょうが…
この変化を全面否定する事は、文学の進歩にあまりにも貢献していないような、そんな気がします。
パソコンでも両方変換可能ですし


まとめると、「ら抜き言葉は文学の進歩の過程なので、全面的に否定する必要はない」。
雅としては、こんな感じで意見がまとまりました。どうでしょうか…?


このブログを復活させた意図の一つには、
自分の発想に批評や反論が欲しかった事が挙げられます。
可能ならば、そのような事をコメントしていただけると嬉しいです。


おわり。

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ぶろふぃーる
HN:
年齢:
26
性別:
男性
誕生日:
1997/08/17
職業:
厨房
趣味:
絵とか小説とか
自己紹介:
自称創作家です。自称。
剣道部。勝てない。厨房。五月蠅い。受験。めんどう。脱ゆとり世代。ごめんね。

ここではかなり厨二な文をお披露目しています。気分を浸される方は読まない事を推奨致します…
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